KOTOの理科的つぶやき

“知ることの楽しさ”を伝えるサイト

教師になって授業をする上で(生きる上でも)大切なことを考えた

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物理大好きKOTOが最近生物を勉強していて「あれ?生物面白いな?!」って感じて、ふと思った事のメモ。
メモだから口調も適当に

授業をしていく上で

多くの生徒は、まだ将来どんなものに興味をもつかはまだわからない。(細胞で言えば未分化状態。幹細胞。)(最近仕入れた知識)

勉強や授業がきっかけで生徒の人生が変わるなんて言うと大袈裟かもしれないが、何かの行事だったり、部活動だったり、あるいは学校外での何かだったり、人生のターニングポイントみたいなのは人それぞれだが、少なくとも授業も1つのそういった可能性を持っている場ではあると思う。

つまりは教師がどんな授業をするかによって、生徒の将来を左右するかもしれないと言っても過言ではないように思う。数は少ないかもしれないが。

つまり、教師は常に幅広く生徒の興味を引き出すことが仕事だと思う。
その為にはまず、教師自身が何事にも興味を持たなければならないと思う。

少年KOTOの場合

自分自身、高校生の時は特に生物が楽しいとは思わなかった。 当時、「ヒトの体はタンパク質でできてます」なんて聞いても特に面白いともなんとも思わなかった。

でもタンパク質はアミノ酸でできていて、アミノ酸はアミノ基との両方の官能基を持つ有機化合物で、そもそもそいつらって何種類しかない原子でできてて、その原子ってのも全部バラすと素粒子ってのになって、素粒子ももしかしたら1種類の「ひも」から出来てるかも知れなくて…
先生がそんな話をしてくれていたら、もしかしたら「生物面白いじゃねえか!」となっていたかもしれない。(面白いと思うツボは人それぞれだが、少年KOTOは昔からこの類の話が大好きなのだ)

そうすると、もしかしたら物理系じゃなくて生物系の学部に進んでいたかもしれない。とすると今後の人生も変わっていただろう。

実際の話

実際こんなマニアックな話を授業でするかどうかは置いといても、先生がこの事を知っていれば「場合によってはこの話をする」という選択肢が生まれる。

もし生物しか興味なくて生物の話だけしかできない先生だったら、なかなか別の角度から切り込むのは難しい。

この話は極論だし、あくまで例えばの話なので、実際この程度の話は理科の先生であれば誰でも知っている話だと思う。 ただこんなようなことは無限にあって、それに対してちゃんとアンテナを張れるかどうかが最も重要なことだと思う。

実際、国数英理社その他諸々網羅するのは厳しいが、とりあえず「理」くらいはある程度の見識は深めねばと思う。

知識はネットワークやで

ついでに関連した話で、

科学に限らず全ての知識や雑学は、一見最初は関係ないように感じてもきっと思いがけないところでつながるものだと思う。 知識を得るという事に関して、この概念があるかないかで人生は大きく変わると思う。 3,4,5…って知識が増えるって考えじゃもったいない。

知識というものは複数のつながって威力を発揮するものだから、下図の赤線の様な「知識のつながり」が3,6,10って増えると捉えるべきだと思う。

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このつながりに思わぬ発見(これは生活の範囲のしょーもないものから学術的なものまで)があるはずだ、と思う。

だから色々アンテナを張って生きていくことは何も先生だけじゃなくて、誰にとっても大切なことだと思う。

個人的には、そういう生き方ってきっと楽しいと思う。