KOTOの理科的つぶやき

理科に関する疑問などを、自分なりに調べてつらつら書いていくブログ。

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#KOTOの東京散歩 「vol3. 後楽園編」

KOTOの東京散歩 後楽園編

KOTOの東京散歩、今回は「後楽園」に行って来ました。
東京ドームや遊園地、ショッピングモールが並んでいるこのエリア。
実は隣にひっそりと、庭園があるのを知っていますか?
ひっそりと、とは言っても広いです。
広いものを東京ドームと比較する日本のカルチャーにならっていうと、この広さはドーム1.5個分。

今回はその庭園「小石川後楽園」から、散歩をしてきました。

後楽園 ざっくり歴史

むかーしむかし、皆知ってる、あの水戸黄門様が、綺麗でおっきな庭を作りました。

黄門様がリスペクトしている学者の言葉「天下の憂いに先じて憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」から取って、この庭は「後楽園」と呼ばれるようになりました。

200年近く経って、明治に入ってからこのあたりの土地を国に返すことになりました(版籍奉還)。
陸軍のものになったこの一帯は、武器を作る工場になりました(東京砲兵工廠)。
今の東京ドームや遊園地のあたりもぜーんぶ、昔は武器工場だったんです。
なかなかイメージできないですね。

ただ工場ができて約60年間後、関東大震災が襲ったので九州に移転してしまいました。
でっかい空き地になってしまったこの土地に、後楽園球場ができました!

ただ、戦争が始まりつつあったこの頃。
金属製のスタンドのイス約2万個が徴収されました。きっと溶かして形を変え、武器が作られたのでしょう。
数年後には、グラウンドは野菜畑として、ジャガイモやカボチャが栽培されました。野球選手達も兵士として戦場に送られました。
優秀な投手に送られる「沢村賞」、この由来となった伝説の投手・沢村栄治もまた兵士として戦地へ送られ、命を落としました。

戦争が終わり、後楽園球場が再び活気を取り戻し、後楽園ゆうえんちが開業し、球場が東京ドームに姿を変え、ホテルやショッピングモールが立ち並ぶようになり、今に至ります。

今の様子からは、なかなか想像することの難しい歴史が実はあったのですね…。

散歩の様子を写真とともに…

↓「小石川後楽園」の園内の様子。 f:id:kotosanagi:20180403172523j:plain

↓人生初の「葛湯」。不思議な味でした。 f:id:kotosanagi:20180403172431j:plain

↓東京砲兵工廠(武器工場)の基礎のレンガと、その説明。 f:id:kotosanagi:20180403173041j:plainf:id:kotosanagi:20180403173043j:plain

↓鎮魂の碑。出兵した野球選手の名前が刻まれています。 f:id:kotosanagi:20180403173435j:plain

東京都戦没者霊苑後楽園駅のすぐ近くにあります。 f:id:kotosanagi:20180403173721j:plain

↓東京ドームと遊園地です。 f:id:kotosanagi:20180403173857j:plain

見慣れた光景も、歴史を知ると見方が変わるのが面白いですね。 それではまた!

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