KOTOの理科的つぶやき

“知ることの楽しさ”を伝えるサイト

死ぬことと、生きること。

こんにちは、KOTOです。

あなたは「自身の死」について考えたことがありますか?

人はいつ死ぬか、という問いに対してはどのように答えるでしょう。
今の日本人の平均寿命は約80年。
もしくは、通説では今の世代は100年生きるとも言われています。
このあたりでしょうか。
これは一般論としては、ある意味正しいのかもしれません。

では「あなたの死」についてはどう考えるでしょう。
あなたが20歳だとして、残りの人生はあと60年(もしくは80年)だと無意識的に考えるのではないでしょうか。

しかし、あなたの死について考える時、平均寿命というものはほとんど役に立ちません。
クラスの平均点が80点だからといって、あなたの点数が80点だという保証はありません。
30点の人もいれば満点を取っている人もいる。
色々な点数の人がいる中で、全体として俯瞰してみたら平均が80点だったというだけにすぎません。
あなたの点数を答える時に、平均点を考えることはほとんど意味がありません。

0.001%の自分の死と共存している感覚

愛と死をテーマにした作品で、私の死生感の軸となっているフレーズがあります。
私の人生において大きな影響を与えた作品、村上春樹の「ノルウェイの森」という小説からの一文です。

“死は生の対極としてではなく、その一部として存在している” 『ノルウェイの森』村上春樹

私が高校1年生のとき、初めてこのフレーズに出会いました。
心臓に深く鋭利に突き刺さった感覚はあったのですが、この意味を咀嚼するにはまだ時間が必要でした。

部分的かもしれないですし、誤解も含んでいるかもしれません。
今、少しずつ理解しつつある感覚があります。

つまり、我々は生まれた瞬間から、未来に向かって目隠しをしながら行進を続けている。
終わりはどこにあるのかはわからないけれど、確かにその道に終わりはある。

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これが対極としての生と死の関係のイメージだと思います。

しかしそうではなく、死は生の一部として存在していると主張しています。

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まだらに生と死が混在する感覚です。
図は敢えて生の面積を多くしましたが、これには大きく個人差があります。

多くの人はもしかしたら「いやいや、今死ぬつもりなんてさらさらないし、自分は生が100%だよ」と思うかもしれません。
この「死」の原因は、内在的なものと外在的なものがあります。

あなたの内在的な死の要因が仮にゼロだったとしても、外在的な死の要因というのは、これは取り払うことは不可能だと思います。
もしかしたら、街を歩いていたら突然車に轢かれてしまうかもしれないし、突然暴漢に襲われてしまうかもしれない。
家にいたところで、飛行機が運悪く墜落して直撃してしまうかもしれない。

考えすぎだと言われれば、確かに相対的にはそうなのかもしれません。
しかし可能性の世界において、この死は確実に存在しています。
0.01%、いや0.001%程度の小さなものだとしても、これは実体として、確かにそこに存在している死なのです。

1ヶ月後死ぬとしたら、どう生きるか。

もし何らかの理由で、自分の命が1ヶ月後に尽きてしまうとわかったら、あなたは何をしますか?

今ある財産を全て使い尽くす
仕事を辞めてバカンスを楽しむ
田舎に帰って家族との時間を過ごす
あえて今までと変わらない生活を送る

もしそれが自分の人生と真正面から徹底的に向き合い、紡ぎ出した答えなのだとしたら、どれもが素晴らしいと思います。

ではもしそれが1週間後だったら、1日後だったらどうでしょう。

そしてこの問いは本質的に、ただの言葉遊びではありません。
宝くじで1億円当たったらどうする?とか、透明人間になれるとしたらどうする?といった類いの質問とは全くもって質感が違うものです。

我々の生の中に存在する、リアリティを持った死に対して問いかけているのです。
0.001%の死は、確かにそこに存在しています。

これに対して目を背けるか、正対するかは、あなたの生き方に委ねます。

私は、確かにそこにある自分の死に向き合い、受け入れることで生を全うしたいと思います。

「そこにある影を認めることで、初めて光を光として認識して、理解する。」

これは私の人生で紡ぎ出された、1つの教訓です。

私は、数々の悲しい出来事を経て、今呼吸をしています。
それを原動力をとして、この文章を書き起こしました。
明日、命が尽きることがわかったとしても、きっとこの言葉を書き綴ったでしょう。
誰かにとって、この私の紡いだ言葉によって何か救われるものがあるのであれば、私のこの深い悲しみは意味を持つことになるのだと思います。

私はこの命が尽きるまで、言葉を磨き、紡ぎ続けます。

おわりに

ここまで書いた文章は、全ての人に刺さる言葉ではないことは自覚しています。
仮に、今もし、あなたが人生を閉じたいと思っていたのだとしたら、全く響かなかったことと思います。

それでもあなたに、これだけは言わせてください。

「死ぬ前に、一度会いましょう」

生きていればいつか良いことがあるよ、だなんて、そんな安い言葉は今のあなたには、かけられません。

それでも私は、あなたに会いたい。
会うことによって、あなたの苦しみを癒すことができるかは正直分かりません。

それでも、あなたと顔を合わせることができなくなってしまうのは私には耐えられません。
ただ一度、その前に、会いたいのです。

どうか、生きているうちに。